私の名前は天馬ふぇみお、このところ天候の急変ぶり著しいが、雨ニモ負ケズ風ニモマケズ夏の暑さニモマケズ、締め切り前の焦燥感にも負けずに日課のオナニーをし続ける、生真面目E-ロマン画家である。
そんな生真面目な私は今とにかく局部をカキまくっている。
局部なんてまどろっこしい言い方はやめよう。チ●コとマ●コばかりを今カキまくっている。
生命の源を内に迸らせ隆起する男根と、それを受け入れその自らの内に生命を宿す女陰・・・まさに陰と陽であるそれは宇宙そのもの。
つまり性器を描くということはこの大宇宙の森羅万象を描いてるに等しい・・・・・・なんて高尚な比喩的な意味で言ってるわけではない。
本当にここ最近、チ●コとマ●コだけを描いている。
《局部をカキまくる》
いきなりこんなことを言われても何を言ってるのかわからねー読者もいるとと思うが、私も何をされたかわからなかった・・・
頭がどうにかなりそうだった
都条例とか児ポ法改正とかそんなチャチなもんじゃぁ断じてねェ もっと恐ろしいものの片鱗をあじわったぜ
とりあえず起こったことを説明しよう。
私は自分のペンネーム「天馬ふぇみお」がブラックリストに載ってしまったため、今は世を忍ぶ別の名前で絵柄も別人に変え、もっぱらコンビニ売のヌル系エロ雑誌で描いている。
以前説明したこともあると思うが、エロ漫画誌には、コンビニなんかでも売られている一般向けのユルいエロ雑誌と、『成年』マークがつけられ流通を制限される過激な成人向けエロ雑誌の二種類がある。
で、このブログを始めた当初は「陵辱系専門エロ漫画家」とか謳っていた私であるが、今はユルーい雑誌で描いているので、ストーリー性重視のそんなに過激じゃないエロ漫画を描いている。
コンビニ売りの雑誌は一応一般誌扱いなので性器を露出させる訳にはいかなくて、性器の部分はこれでもかと白く塗りつぶされる。ただしコンビニ売りのエロ漫画誌でも単行本は「成年マーク」をつけて局部丸出しOKの成年コミックとして出す場合もあるので、作家によっては雑誌掲載時には塗りつぶされてしまうことを承知でしっかり局部を描き込む人もいる。
一方で、構図や表現方法を工夫して局部をハッキリ描かなくても済むようにしながらエロシーンを描く人もいる。私は後者のタイプであった。
裸を描きながら局部は描かないというのは大きな制約だが、「単行本を出すときは成年マークをつけない一般コミック扱いで出す予定です」と編集さんから言われていたし、モノをハッキリ描かずに構図や影や飛沫や下着で誤魔化すというのも作家の腕の見せどころなんだろうと思っていたので、私的には何の苦でもなかった。
なのだが・・・・一般コミック扱いで出版したヌルエロ単行本が都条例だかに引っかかり摘発を喰らうことが多発したために、急遽方針が変わり今後はヌルエロでも単行本は全部「成年マーク」を付けて、過激な成年コミックとして出すことになってしまったらしい。
というわけで、既に編集部にデータを渡してあり、夏くらいに載るはずの原稿を急遽、逆修正して性器を書き足すことになり、今、私はひたすらチ●コ&マ●コだけを描きまくっているわけなのである。
↑逆修正済み。っつーてもここではモザイクかけなき
イカン訳だけれども・・・・ヽ(´Д`;)ノ
勿論、局部がハッキリ描かれていることがそんなに重要かといえばそんなことはないはずだ。
例えばきれいな女性のあそこにアワビみたいな変なビラビラの物体がついてるのを目の当たりにするよりも、モザイクの向こう側にきっとバラの花弁のように美しい何かがついてるに違いないヽ(=´▽`=)ノ、と夢想する何も知らない中学生の頃のほうが人間は幸せだったに違いないのだ。
ちなみに私はアラフォーの今になっても、普通の女のあそこには生臭いアワビがついているが、仲間由紀恵のあそこにはバラの花弁のような美しい何かがついてるに違いない、と信じている。
今、ネットで裏ビデオくらいいくらでも手に入るが、もっぱら私はモザイク付きのDMMの動画をダウンロードしている。モザイクの有り無しよりも、女優の質や好みのシチュエーションであるかどうかのほうがよほど重要だからである。
しかし、もし同じ女優の同じ動画で、モザイク付きビデオと裏ビデオが同じ値段で売られていれば、100人中99人が裏ビデオを選ぶだろう。悲しいかな、それが現実である。
マ●コおっぴろげが当たり前と思って成年コミックを買ってみたら局部が全然描かれてませんでした、ではいくらストーリーや絵で頑張っても読者は納得してくれまい。
なので単行本を出すのはまだ先だが、過去の原稿も可能な限り、チ●コ・マ●コを書き足す逆修正を加えていかねばなるまい。
承太郎風に言うならば、『とんでもねー皮肉ってやつだぜ・・・ ヌルエロ誌の中で必死に局部を描かない努力をしたっていうのに 今は描くためのの努力をしなきゃなんねーなんてよ』って心境なのである。
ヤレヤレだぜ・・・。
まあ私のチ●コ・マ●コを描く労力なんてものはどうせ大したことじゃないから別にいいのだが、それよりも、コンビニ置きのヌルエロコミックというモノ自体が少しずつ消滅しかけていることに、真面目に危機感を覚えている。 それは、私の食い扶持がどうこうという話ではない。別に私はヌルエロ誌がなくなればガチエロ誌に移籍すればいいだけなのだから。
ただ社会的に見て、ぬる~いエロ雑誌というのは絶対必要なものなんじゃねーのか、と生真面目に考えているので、青少年の育成について結構マジで危惧している。
それについての考察を次回じっくり書きたいと思う。
<続>
そんな生真面目な私は今とにかく局部をカキまくっている。
局部なんてまどろっこしい言い方はやめよう。チ●コとマ●コばかりを今カキまくっている。
生命の源を内に迸らせ隆起する男根と、それを受け入れその自らの内に生命を宿す女陰・・・まさに陰と陽であるそれは宇宙そのもの。
つまり性器を描くということはこの大宇宙の森羅万象を描いてるに等しい・・・・・・なんて高尚な比喩的な意味で言ってるわけではない。
本当にここ最近、チ●コとマ●コだけを描いている。
《局部をカキまくる》
いきなりこんなことを言われても何を言ってるのかわからねー読者もいるとと思うが、私も何をされたかわからなかった・・・
頭がどうにかなりそうだった
都条例とか児ポ法改正とかそんなチャチなもんじゃぁ断じてねェ もっと恐ろしいものの片鱗をあじわったぜ
とりあえず起こったことを説明しよう。
私は自分のペンネーム「天馬ふぇみお」がブラックリストに載ってしまったため、今は世を忍ぶ別の名前で絵柄も別人に変え、もっぱらコンビニ売のヌル系エロ雑誌で描いている。
以前説明したこともあると思うが、エロ漫画誌には、コンビニなんかでも売られている一般向けのユルいエロ雑誌と、『成年』マークがつけられ流通を制限される過激な成人向けエロ雑誌の二種類がある。
で、このブログを始めた当初は「陵辱系専門エロ漫画家」とか謳っていた私であるが、今はユルーい雑誌で描いているので、ストーリー性重視のそんなに過激じゃないエロ漫画を描いている。
コンビニ売りの雑誌は一応一般誌扱いなので性器を露出させる訳にはいかなくて、性器の部分はこれでもかと白く塗りつぶされる。ただしコンビニ売りのエロ漫画誌でも単行本は「成年マーク」をつけて局部丸出しOKの成年コミックとして出す場合もあるので、作家によっては雑誌掲載時には塗りつぶされてしまうことを承知でしっかり局部を描き込む人もいる。
一方で、構図や表現方法を工夫して局部をハッキリ描かなくても済むようにしながらエロシーンを描く人もいる。私は後者のタイプであった。
裸を描きながら局部は描かないというのは大きな制約だが、「単行本を出すときは成年マークをつけない一般コミック扱いで出す予定です」と編集さんから言われていたし、モノをハッキリ描かずに構図や影や飛沫や下着で誤魔化すというのも作家の腕の見せどころなんだろうと思っていたので、私的には何の苦でもなかった。
なのだが・・・・一般コミック扱いで出版したヌルエロ単行本が都条例だかに引っかかり摘発を喰らうことが多発したために、急遽方針が変わり今後はヌルエロでも単行本は全部「成年マーク」を付けて、過激な成年コミックとして出すことになってしまったらしい。
というわけで、既に編集部にデータを渡してあり、夏くらいに載るはずの原稿を急遽、逆修正して性器を書き足すことになり、今、私はひたすらチ●コ&マ●コだけを描きまくっているわけなのである。
↑逆修正済み。っつーてもここではモザイクかけなき
イカン訳だけれども・・・・ヽ(´Д`;)ノ
勿論、局部がハッキリ描かれていることがそんなに重要かといえばそんなことはないはずだ。
例えばきれいな女性のあそこにアワビみたいな変なビラビラの物体がついてるのを目の当たりにするよりも、モザイクの向こう側にきっとバラの花弁のように美しい何かがついてるに違いないヽ(=´▽`=)ノ、と夢想する何も知らない中学生の頃のほうが人間は幸せだったに違いないのだ。
ちなみに私はアラフォーの今になっても、普通の女のあそこには生臭いアワビがついているが、仲間由紀恵のあそこにはバラの花弁のような美しい何かがついてるに違いない、と信じている。
今、ネットで裏ビデオくらいいくらでも手に入るが、もっぱら私はモザイク付きのDMMの動画をダウンロードしている。モザイクの有り無しよりも、女優の質や好みのシチュエーションであるかどうかのほうがよほど重要だからである。
しかし、もし同じ女優の同じ動画で、モザイク付きビデオと裏ビデオが同じ値段で売られていれば、100人中99人が裏ビデオを選ぶだろう。悲しいかな、それが現実である。
マ●コおっぴろげが当たり前と思って成年コミックを買ってみたら局部が全然描かれてませんでした、ではいくらストーリーや絵で頑張っても読者は納得してくれまい。
なので単行本を出すのはまだ先だが、過去の原稿も可能な限り、チ●コ・マ●コを書き足す逆修正を加えていかねばなるまい。
承太郎風に言うならば、『とんでもねー皮肉ってやつだぜ・・・ ヌルエロ誌の中で必死に局部を描かない努力をしたっていうのに 今は描くためのの努力をしなきゃなんねーなんてよ』って心境なのである。
ヤレヤレだぜ・・・。
まあ私のチ●コ・マ●コを描く労力なんてものはどうせ大したことじゃないから別にいいのだが、それよりも、コンビニ置きのヌルエロコミックというモノ自体が少しずつ消滅しかけていることに、真面目に危機感を覚えている。 それは、私の食い扶持がどうこうという話ではない。別に私はヌルエロ誌がなくなればガチエロ誌に移籍すればいいだけなのだから。
ただ社会的に見て、ぬる~いエロ雑誌というのは絶対必要なものなんじゃねーのか、と生真面目に考えているので、青少年の育成について結構マジで危惧している。
それについての考察を次回じっくり書きたいと思う。
<続>