E-ロマン画家天馬ふぇみおの笛美男IZM

底辺エロ漫画家...もとい愛の"ロマン"を紡ぐ『E-ロマン画家』、天馬ふぇみおの肥溜みたいな日常を綴るブログ

性癖 ~エロ漫画道~ 6

 私の名前は天馬ふぇみお凌辱系専門エロ漫画家である。

 仕事熱心で実直な私は、日夜読者の期待にこたえるべくペンを振るい、資料集めと称してネットでエロ画像を漁り大量にストックし、インターネットに興じた後は『アナル肉体捜査官 フィストでGO姦』みたいなページを誰かに見られないように、閲覧履歴を全て消去してからブラウザを閉じる、そんな繊細な心配りのできる大人の男である。

 そんな私の性癖がどのように形成されたかを探る旅もこれが最後である。私は現在30代なりたてであるが、30代の人間なら誰もが避けては通れなかった性の階段がある。

 同年代の方なら誰もがうなずくであろう肉体の門、それが少年ジャンプである。

 今でこそ子供向けバトル漫画と子供向けギャグマンガしか載ってないあの雑誌であるが、20年前、『ジャンプ黄金時代』と呼ばれ発刊部数600万部を超えていたあの頃の少年ジャンプは、青いをもてあましていた当時の小学生にとってもまさに『黄金時代』であり、少年ジャンプで勃起する者たちが多数いて、少年ジャンプでオナニーした者も少なからずいた。

 『シェイプアップ乱』という作品では毎週のようにB地区(われわれ専門家はオブラートに包み乳首の頃をそう呼ぶのだ)が出ていて、『シティハンター』でもB地区こそ見えないものの際どい入浴シーンがけっこうあった。その他にも『気まぐれオレンジロード』なども誰かが学校に持ってくると、学級会で問題になるくらいであった。

 そんなエロさにおいてもパラダイスであった少年ジャンプに満を持して登場し、純粋な小学生たちの包茎チンポを一斉に天高く勃起させたのが桂正和大先生の伝説の作品、『電影少女』だったわけだ。

・・・しかし、わたしが2009年性癖への旅の最後にあげるのは、残念ながら『電影少女』ではなく別の作品であった。
 


その4 「てんで性悪キューピッド」

 ジャンプ黄金時代の末期に掲載された漫画。当時のジャンプのなマンガの2大亀頭、いやちがった2大巨根・・・もとい2大巨頭といえば、「ビデオガール」「てんで性悪キューピッド」であった。

 当時の小学生の間でこの二つのマンガはいわば踏み絵のようなものであり、それを読んでいるということをカミングアウトした瞬間、「スケベ」のレッテルを貼られてしまうのだ。
 私の周りはみんな少年ジャンプを買っていたが、みんな「俺あのマンガだけは読んでないよ」とうそぶいていた。

 で、私はというと、ジャンプを買っていなかったくせに、エッチな話の載っている号だけは拾ってきて、押入に隠し、しっかり読んでいた。

 ちなみに刺激度と、絵のエロさ(うまさ)は「ビデオガール」の方がダントツなのであるが、にもかかわらず私は「てんで性悪キューピッド」の方が好きだった。

 女性の好みというのは一口では語られない。顔だけでなく、性格、しぐさ、声、様々な要素が複雑にからみあって、その人物の魅力を構成していく

 だから私が、なぜ電影少女のヒロインよりもきゅーぴっどのヒロイン、マリアにそそられてしまったのか、その要因を説明することは非常に困難なわけだが、あえて説明を試みるならば、『マリアの方が巨乳だから・・・以上!』ということになる。
 
 そう、私はおっぱい星人なのだ。最近よく使われるようになった、空気が読めない人に使う『KY』なる言葉、私は最近まで『巨乳』の略だと思っていた。

 で、そのてんで性悪きゅーぴっどである。

 これの作者の方は、今でこそ少年漫画の王道っちっくなバトル漫画を描いて、「どれだけ休載すれば気が済むんだ!」「ネーム載っけてンじゃねーよ!」と叩かれながらもなんだかんだで絶大な支持を得ているのだが、20年前も、表向きは世の小学生から「ジャンプの恥だよ」、「俺あんなの絶対よまねーし」などと蔑まれながらも、彼らのチンポからは熱烈な支持を受けていたのだ。

 血は争えない・・・そういうことなのだ。



 さて、このマンガの中で、ヒロイン、マリアが張りつけにされて悪戯されるという話がある。子供心に興奮した。あらすじをかいつまんでご紹介しよう。

「ふと気づくとマリアは台の上に寝転がっていた。
”お目覚めかい?”
自分を好色そうな面持ちで見下ろしているのは自分をこのパーティーに誘った金持ちの御曹司の金倉健太だった。

 四肢を結ぶ鎖が突然四隅に引っ張られていき、それにつられマリアの体も大の字に開いていった。
”それじゃあまず、診察するので服を脱がしマース”

 そういうと金倉はメスでマリアの胸元から服を切り刻んでいった。
 彼女の白い柔肌があらわになっていく。
 
 左右の乳首の部分だけはピンポイントでうまい具合に布が残っているのは、おそらくこの男の・・・いや、むしろ作者のなけなしの良心なのだろう。
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”そんな怖い顔して睨み付けないでよ。せっかくだから楽しもう?”

そしてむき出しにされた彼女の肢体を指先でなぞるようにして全身をくすぐっていく。

”きゃははははは・・・やめて~”



・・・なんかどっかで見たことあるようなシチュエーションなんですけど・・・冨樫先生、あなたもやはり・・・・・?!


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 いかがだったであろうか、私の性癖のルーツを探る心の旅・・こんなものを真面目に読んでる人間が果たしてこの広い地球といえども一人でも存在してるのだろうか・・・?

 <完>

性癖 ~エロ漫画道~ 5

私の名前は 天馬ふぇみお、国際政治に見識深く、先の2009年衆議院選挙では、今後の日本の行末を一週間考えに考え抜いた挙句、自分の貴重な一票を、児童ポルノ法改正に反対しているというただそれだけの理由で自民党の候補に投じた、自他共に認める政治通であるが、そんな私の本職は、エロ漫画家。

 それも凌辱系専門で書かせていただいている。

 そもそも陵辱という言葉に馴染みのない世間知らずな子羊ちゃんたちのために説明すると、凌辱とはレイプ!輪姦!鞭!縛り!『この淫乱メス豚め。口では抵抗していてもあそこは泣いて悦んでるじゃねーか!』というようなプレイのことである。

 さて、そんな常日頃から男女の純愛について熱くペンをほとばしらせる私のこの性癖がいかにして形成されたかをここ数回にわたって考察してるわけなので、またしてもアフリカゾウのちんぽ並みに前置きが長くなってしまう前に、私の幼児体験に三度スポットライトを当ててみることにしよう。

その3  ベルサイユのばら

 昔の日本人は桜の散り際にこの世で最高の美を見いだしたようだが、私の感性では散って美しいのは桜ではなく薔薇なのだ。
 さて、オスカルがアンドレに告白するシーンを空で暗唱できるくらいのベルバラフリークの私は、当然アニメも見ていた。むしろアニメの方が先だった気がする。

 夕方6時からの再放送で見ていた気がするのだが、アニメのオープニングは、いきなりオスカルのヌードから始まるのだ。

 にがんじがらめにされたオスカルの裸。足下から始まってカメラは少しずつ上に太股股間(確か手で隠してあったような)ヘソ、乳房(これも手で隠してあった)と上がっていき、最後に悲しげなオスカルの顔のドアップ

 なんともSMチックなこのオープニング。そして「ペルサイユの薔薇」のタイトルが現れ「草むらに~ 名も知れず~」と主題歌が始まるわけだが、幼少時の私の心に、茨でがんじがらめにされた悲しげなオスカルの姿がトラウマとして焼きついたとしてもいたし方あるまい。

 その20年後、大人になった彼はエロ漫画家となり、中世ヨーロッパを舞台にした壮大なエロ漫画、いやエロ漫画とはもはや呼べないスペクタクルラブロマンスを雑誌『純愛果実』に発表し、全米を泣かすまでにはいたらなかったが、担当の編集である●水社のMさんからは泣きそうな声で「もうこういうネタはやめてくださいね」と懇願されたという。





 担当編集のMさん曰く、「大笑いさせてもらいましたけど・・・うち基本ギャグ系はNGなんで、次からやめてくださいね」とのことだった。"大真面目で本気で純愛モノとして描いたつもりなんすけど・・・"とは最後まで言うに言えなかったあの夏・・・。 

 また話がそれた。オスカルの話に戻そう。

そして主題歌は今度は剣を持った全裸のオスカルがやっぱり茨でがんじがらめにされている絵で終わる。このときは胸は隠れていなかったが、この前ビデオで借りてきて確認したところ、やはり乳首も陰毛も描かれてはいなかった。

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 このとき私が感じたのは、エロスではなく純粋な美しさであった。何故不二子ちゃんではエロスを感じ、オスカルには純粋な美しさしか感じないかといえば、単純にオスカルのおっぱいが貧乳だったから、の一点につきるであろう。

 ちなみに、アニメ版と漫画版では要所要所で内容が違うのだが、中でもオスカルとアンドレが結ばれるシーンなぞは漫画とアニメでは全く違う。アニメの中では・・・青姦、つまり野外プレイなのだ。

 川縁で二人裸になったオスカルとアンドレが抱き合い、そのあとはもちろん描写されないのだが、「そして二人はついに結ばれたのであった」というナレーションの最中2匹の蛍が交互に交わりながら飛んでいくという映像が流れる。

 ちなみに、このような生々しいのかオブラートなのかよく分からない微妙な感じを、我々専門家は「ミディアムレア」と呼ぶ。

 漫画の中で散々女性を蹂躙してきた私であるが、もちろん懸命な読者諸君ならお気づきのとおり、実際の私は極めて常識人で、女性を縛って、浣腸をして、肛門にローターを刺した後、さらに注射器でビールを直腸に流し込み、直腸から吸収されるアルコールによって酔っ払った女の目を覚まさすために、蝋燭を体に垂らし、ベッドやシャワー室をロウまみれにさせ、ラブホテルの清掃人に迷惑をかけるような真似はしたことがない。

 世の中往々にしてそうであると思うのだが、ハードなエロ漫画を描いてる人間ほどノーマルであったりするのだ。もちろん私の性生活は極めてノーマルである。

 今までにやった多少過激なプレイといえばドS女によって縛られ、浣腸をされ、肛門にローターを刺され、さらに注射器でビールを直腸に流し込まれ、直腸から吸収されるアルコールによって酔っ払った目を覚まさすために、蝋燭を体に垂らされ、ベッドやシャワー室をロウまみれにさせ、ラブホテルの清掃人に迷惑をかけたくらいのことである。

 ちなみにその変態ドS女から『5回くらいやればアナルのよさが分かってくるよ』といわれたものの、極めて正常かつノーマルな性癖の私は、2回のチャレンジをもって肛門に異物を挿入する修行からは卒業した。


さて、そんな私という稀代のチンポアーティストの性癖のルーツを辿る旅も次回で最後である。

性癖 ~エロ漫画道~ 4

 私の名前は天馬ふぇみお凌辱系専門エロ漫画家として日夜エロ漫画制作精子を出す、いやもとい精を出すナイスガイだ。
 永遠の十代の純粋な心を持ち続ける私であるが、そんな私にも人並みくらいには性欲があり、周りの人間よりは至極まっとうだとはいえ、独自の性癖というものも持っている。

 そんな、元合衆国ファーストレディが、現大統領のブッチュと黒人女性のライム国務長官に姦られてしまう、などという国際感覚あふれる知的な漫画を描き、一部で社会派エロ漫画家などと呼ばれる私の性癖のルーツについて、今回もスポットを当てていこうと思う。

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 ちなみに、それを書いた当時は多くの識者が、ヒラリーがブッシュの後に大統領になるだろうと予想していたのだが、オバマ政権が誕生した今となっては感慨深いものがある。

 幼少時より帝王学を学び、国際政治にも長けていた私は国際ジャーナリストになるかエロ漫画家になるか悩んだ末に今の道を選んだわけだが、オバマ政権の誕生を予見できなかったその程度の眼識では、もし国際ジャーナリストになったとしても大成するのは難しかったかもしれない。

 エロ漫画家を選んで正解だった。


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 話が・・・平常時で5cm、勃起で12.5cmと、極めて平均的な日本人サイズである私のチンコ並に右へとそれてしまった。性癖の話に戻そう。

 前回は その1 として、ルパン三世不二子ちゃんが私の生の目覚めとなったことまで語ったので、今回は その2、とその3を記すことにしよう。


その2  古本屋にて

 確か父と一緒に本屋に行ったときのことだと思う。小学校入り始めか、幼稚園の年少かそれくらいの時分だ。
 私は父とはぐれ、父を捜していたのだと思うが記憶があやふやだ。とにかく、何も分からない私はエロ本コーナーに迷い込んだらしかった。

 今もそうであるが、当時の私は今以上に純粋で、性に対して汚らわしさを感じていたので、裸のたぐいからは目を背けることが多かったし、見ておもしろいとも全く思わなかった。

 そんな私の眼中に飛び込んできたのは、なんか蜘蛛の巣のように張り巡らされたロープの中央でがんじがらめにされて、苦悶の表情を浮かべている、裸の女性の姿であった。

そう、わたしはSMコーナーに迷い込んでしまったのだ。

 しかし、その当時の私のような純粋培養の子供にとって、それが「Hな趣味の一環」だという認識はまるでなく、「いったいこの女の人たちは、どんな悪いことをしてこのような罰を受けているんだろう?」と、胸が締め付けられた。

 しかもその、を受けている女性たちは一人二人ではなかった。周りを見渡せば、幾多の女性たちが驚くほど複雑な結び方で体をがんじがらめにされ苦悶の表情を浮かべ、涙を流したりまでしていた。

 「こんな恐ろしく残酷な罰があるだろうか?きっと彼女たちは一生あのままの姿で身動きもできずに朽ち果てていくのだろう」そう思うと何もする気が起きなくなるくらいに沈んだ気持ちになった。

 ところで、今となっては定かではないのだが、何故幼少時の私がエロ本のSMコーナーなんぞに迷い込んでしまったのかというと、自然に考えるならば、私の親父さんがそこのエロ本コーナーで立ち読みをしていたからではないかというのがもっとも論理的な見解である気がする。

 しかしながら、環境庁の官僚を経て、現在大学で「環境行政学」を専門として教鞭をとる彼の名誉のために断定は避けておこう。

 ちなみに、そんな絵に描いたようなエリートである彼には二人の息子がいて、ともに幼少時より英才教育を受けさせられたわけだが・・・その成れの果てはホスト崩れのチンピラ凌辱系専門エロ漫画家である。

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性癖 ~エロ漫画道~ 3

私の名は天馬ふぇみお凌辱モノ専門エロ漫画家として社会の底辺で清く貧しくを、いやを勤しむ愛の使者である。

 今日も、この世から性犯罪で苦しむ被害者を少しでも減らしたいとの純粋な想いから、アブノーマルな性癖と妄想に取り付かれた迷える子羊たちのために、何の罪もない正義感に燃える女ジャーナリストが安部元首相と麻生元首相そっくりの悪徳政治家に輪姦されてしまう、というロマンチックラブコメディーをあくせくと執筆しているしだいである。

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さて、そんな天真爛漫容姿端麗な私の人に言えないサディスティックな性癖というのはいかにして形作られたのか・・・?
 今回こそ、その謎に迫るべく、私の人格形成に少なからぬ影響を与えたであろう事象を、過去の記憶の中から掘り起こしていこうと思う。




 その1 「ルパン3世」第1話「ルパンは萌えているか?」

 おそらく私が自分の中で記憶する限り、最初の性の目覚めがこれである。最初の性の目覚めというのは、早い話が勃起したと言うことである。
 幼児でも、レム睡眠中は勃起するというので、無意識下ではこの以前から何度も勃起しているのだろうが、初めて、「あれ?僕のオチンチン立ってるよ?なんで?」とその青い欲望の隆起を意識的に認めたのはこれが最初である。

 あらすじをかいつまんで説明すると、

「悪の軍団に捕らえられてしまった峰不二子。
 彼女は手術用の台のようなものに大の字に張りつけにされる。
 つなぎのライダースのはだけた胸元から豊満な乳房の一端が見え隠れする。

 ふと、デブおやじ(悪の組織のドン。名前忘れた)がリモコンのようなものを取り出すと、ニヤッと笑ってスイッチを入れた。とたんに、台の至る所から、にょきにょきとマジックハンドのようなものが突き出てきた。その指先は、機械とは思えないほどに器用にアップ&ダウンを繰り返していた。さらにおやじがスイッチをひねるとその無数のテクニシャンたちは一斉に不二子の熟れた体に襲いかかる。肌にピチピチに密着したライダース越しに、触手たちは確実に不二子の神経を刺激していった。くすぐったいようなこそばゆいような感覚。
「いやあ、やめてえ~キャハハハハハハ」
不二子は必死に体をよじり触手から逃れようとするが、四肢をつなぐ鎖がそれを許そうとはしなかった。



ルパンは萌えているか



と、こんな風なあらすじだったと思う。小学校低学年の時に再放送で見たものなので、だいぶ記憶が曖昧なのだが、不二子ちゃんが悪戯されてるシーンだけはよく覚えている。

 その当時、興奮したらチンチンが立つものらしいということは知っていたが、それは大人の世界の話だと考えていた。私はなんだか嬉しかった。
 大人としての儀式を通過したような気がしたからだ。実際には、それを神秘の穴に突っ込んで初めて大人になるのであるが、当時の私にそこまでの知識はなかった。

 そのあとも、変な殺し屋が出てくる話で下着姿の不二子ちゃんがロープで縛られてつるされたりと、なかなか刺激的な洗礼を多く与えてくれたこの番組であるが、回を追うごとにソフトになっていった気がする。

 そんな訳で、私は今はやりの「ロリ顔」の女に全く萌えず、なんか童顔で物腰も幼い女の子だと例えそれが18歳越えていようとも犯罪犯しているような後ろめたさを覚えるのだった。やっぱボインでむっちんぷりんでフェロモンの色が透けて見えるくらいの大人のお姉さんじゃなきゃ駄目なのだ。

 余談だが、私が、初めて挿入した相手は、なんと一回り以上も歳上おばさんお姉さんだった、とここに追記しておこう・・・・・・

性癖 ~エロ漫画道~ 2

 私の名前は天馬ふぇみお、悪を憎み性戯を、いやもとい正義を愛する地球に優しいナイスガイ。
 そんな私の職業はロマン画家。男女の甘酸っぱいロマンを描き出すのを生業にしている。人によってはそんな私をエロマン画家などと呼ぶものもいる。 

さて、今回はそんな凌辱専門エロ漫画家たる私の、性癖の話である。私がどんな幼少期を迎え、どんな性癖を形成するにいたったか・・・

 フロイトいわく、「人間は考える性器」であり田島陽子先生いわく「男というのはどれもコレも人の皮をかぶったチンポである」らしい。

 少し私の博識ぶりを披露する事を許してもらえるならば、フロイトの「夢診断」を読む限り、夢の中で筒状のものが出てきたらそれはすべてチ●ポの象徴であり、穴状のものがあったらそれはすべからくマ●コなのだという。
 ちなみに私はよく肛門を誰かにくすぐられる夢を見るのだが、フロイト先生ならこれをどう読み解くであろうか。

 フェミニスト代表として一時期マスコミにもてはやさ田島陽子女史に関して言えば、彼女のような不細工がフェミニズムふりかざしても説得力は皆無で、ブスの僻みにしか聞こえないのは私だけだろうか。

 よほど男で辛い目にあったのだろうが、あの顔じゃ仕方ないかもしれない。しかし、彼女だって可哀想な人なのだ。男性を信じられない、男はすべてセックスのことしか考えない腐れチンポとしか認識できないのだ。

 おそらく彼女はコレまでの人生でろくな男と出会わなかったのだろう。世の中には私のような、ただただ愛する女性に対して惜しみなき愛と慈しみと自己犠牲を捧げることに至上の喜びを見出すような男だって存在するということを知っていれば、彼女もあそこまで歪むことはなかっただろう。彼女の言葉を少し私なりに訂正して、こんな言葉を君たちに送ろう

男とはその半数以上が皮をかぶったチンポである(あくまで日本人の場合)」{資料提供:神奈川クリニック}




 はて……なんの話だったか・・・?

 そうだ、性癖の話だ。

 ロバート・k・レスラー『FBI心理分析官』という本で、女性の断末魔の瞬間を想像することでしかオーガズムに達することの出来ない服役中の猟奇殺人犯の話を読んだことがある。

 彼は自分でもそんな性癖がいけないことをわかっていて、何度も普通のセックスシーンを想像して自慰に励もうとしたのらしい。
 だが、そのたびに挫折し、結局「モニカ・ルインスキーがホワイトハウスでクリントンに亀甲縛りにされた挙句に肛門に44マグナム突きつけられ、胴体貫通して口から飛び出した弾丸が2階で自慰に励んでいたヒラリーの心臓をぶち抜く」シーンで逝ってしまったとか、そんな話だったと思う。

 つまり、性癖とは、意志の力ではどうにも出来ない、人間の心の最後のブラックボックスなのだ


 やっと本題に戻れるわけだが、私にも悲しいことに、それが正常ではないと自覚し、直そうと努力してきたにもかかわらずやはりどうすることも出来ない性癖というものがあるわけだ。

 すなわち私は、サディストなのだ

何かに束縛されてがんじがらめになってるような状態に、言いようのない絵的な美しさを感じてしまうのだ。というと、芸術家の性のようで聞こえはいいのだが、美しさを感じるだけでなく、そこにどうしようもない興奮を抱いてしまうわけだ。


早い話が・・・縛りが好き!


この一言に集約できるだろう。
さらにつっこんで言えば、縛られて抵抗できない女の子が羞恥心に顔を歪めているのを尻目に悪戯したいよね?という醜く腐りきった欲望の持ち主が私なのだ。


 しかしながら、ここで私を軽蔑するのは少し待っていただきたい。これは私だけの責任ではなく、すべては環境的要因によるものだからだ。

 そういうわけで、またまた史上最大の脊椎動物、シロナガスクジラのチンポ並に前置きが長くなってしまったが、次回からこそ、私の性癖を形成するに至るまでの幼児体験を書き連ねていこうと思う。


性癖 ~エロ漫画道~ 1

 私の名は『天馬ふぇみお』凌辱モノ専門のエロ漫画家としてこの広い地球の片隅、社会の底辺で今日も、Gペンと自分の生殖器を握り締めながら、頑張って小さな生を全うしている。

 思えば、幼少の頃より手塚治虫先生の名作を読み漁り、藤子先生の漫画道に感銘を受け、いつか自分も漫画で人を感動させられるようになりたい、手塚先生みたいになりたい、そう思って漫画に打ち込み続けてきた。
 その想いは今も一片も色あせることなく私の心の奥底で光り輝き、そして今日も私を原稿制作へと向かわせるのだ・・・・ちなみに今執筆中なのはスラム街で没落貴族のお嬢様がかつての召使に姦られまくってしまうというハートウォーミングな物語だ。
 手塚先生も草葉の陰から微笑ましく私を見守っていてくれているに違いない。

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 そんな私がよく想いをはせるテーマがある・・・

     人はどこからきて、何処に行くのか?

      もとい・・・

   私の性癖はどうやって形作られていったのか・・・?


 人は一人では生きていけないし、環境によって形作られていく。
 実際、人間の成長要因のほとんどが後天的な環境によって左右されるのだということがわかっている。人間にとって、遺伝子の呪縛というのは意外なほどに脆弱な因子に過ぎないらしく、むしろ人間の感性を築き上げるのは、思春期までの環境によるスリ込みである。

 幼児期に虐待を受けた人間が成長して今度は子供を育てる立場になったときに、自分が受けたのと同じように暴力を振るってしまう事が多い、というのも幼児期に形成されたトラウマによるものである。
 もっとミクロなレベルで話をすれば、女性の好みや、興奮するシチュエーション、そんなものすらも、幼児体験、読んだことを覚えてすらいないような漫画、何気なく親と一緒に観ていた映画などの刷り込みによって培われていくのだ。

 だからたとえば、私がどんなマニアックな趣味をしていようとも、それは私のせいではなく、ただ単に育った環境によるものなのだ。

 ここまでの文章をご覧になっただけでも、ある程度の知性を兼ね備えた人であるならば、私という人間が、ネタとして駄目人間を演じているだけで、実際のところ驚くほどの常識と知性と思いやりに満ち溢れた人間であることを理解してくれていることと思う。いくら相手の顔の見えないバーチャルな世界だとはいえ、やはり人間の本性というものは透けて見えてしまうものだから。
 
 実際のところ、私は読者の皆さんが期待するような特異な幼児体験というものはない。萩尾望都先生の「トーマの心臓」「残酷な神が支配する」をこよなく愛読する私は「美少年たるもの虐待経験のひとつやふたつなけれりゃいかんだろ!」というイデオロギーの持ち主である。

 しかしながら私自身はいうとと、幼少時から親の愛を一身に受け、周囲からも愛らしい愛らしいともてはやされ、心優しき友人にも恵まれ、周囲の期待がプレッシャーではあったが、人の善意を疑うことを知らない素直な私はその期待に応えるために精一杯努めてきた。
 そして親の期待通りにエリートコースを上り詰め、人々からの賞賛の声に奢ることもなく、ただひたすら周囲の人々の幸せを考え謙虚に日々精進に励んできた。私という人間は、コレまで関わりあってきた人々の愛情によって育まれてきたといっても過言ではない

 そんな体験が血となり肉となり、今私は「没落貴族のお嬢様がスラムの底辺でかつて親のように慕っていた召使に姦られまくり、売春婦として売られ、しかも彼女をそこまで転落させた張本人がその善人面した召使だった」なんていうハートウォーミングなマンガを描いたりしているわけだ。

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 さてそんな「非の打ち所のない人間」と周囲からもてはやされる私であるが、もちろん自分でそれを肯定するほど厚顔無恥ではない。私だって人間だ。後ろめたいことの一つや二つはある。

 そのうちのひとつは、手塚先生の名作「ブラックジャック」でピノコがブラックジャックにお仕置きされてるシーンで興奮してしまったという暗い過去のことだ。もう一つは忘れた。

 ただわたしは心の奥の負の部分を表に出さず、隠し通すだけの理性と常識と強い倫理観を兼ね備えているから、まともに社会の中で信用を保っていられているのだ。。しかしいくら強固な意志を持っていようともどうしようもできないものがある。

 それが性癖である

 
 前置きが、イタリアのアナル貴公子と呼ばれるAV男優、ロッコ・シフレディのチンポ並に長くなってしまったが、次の回から、私という人間の性癖がいかなる幼児体験から形成されていったかを探ってみることとしよう

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    (続く)


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