『にゃん吉の話2』


 冬になり、寒さが厳しくなるとニャン吉の食欲はますます細っていく。

 歳が明けた冷えの厳しいある夜、ニャン吉に好物のカツオをあげに行ったのだが、そのときはカツオも口にせず、ただただ私の足にまとわりつきスリスリ頭をこすり付け、撫でてとばかりにごろんと地面に転がる。私もそれにこたえお腹や首周りを満足いくまで撫でてやる。歳をとると猫はどんどん甘えん坊になる気がする。
 人間でもご老人になると逆に幼児退行するケースがあるが、それと同じなのだろうか。

 散々撫でてあげた後、私はきりがないので家に戻ろうとする。

 ニャン吉は名残惜しそうに見つめていたが、仕方がない。その夜、日付も変わろうかという真夜中、ニャン吉が夜中に私をよんで喚きはじめた。
 だが、前述したように喚けば出てきてくれると思い込ませてしまうと、どんどん夜中でもお構いなしに泣き叫ぶようになるだろう。必死な声に耳をふさぎ、私は出て行きたいのをぐっとこらえた。
 ニャン吉はいつにもましてしつこくニャーゴニャーゴ鳴き続けていた。低いドラ声で決して可愛らしい泣き声ではないのだが、とてもせつなく物悲しげに聞こえた。

 翌朝、コンビニにお金を下ろしに行こうとすると、ニャン吉が何事もなかったかのように路傍でたたずんで日向ぼっこしていた。元気そうでよかった、と胸をなでおろす。年齢が年齢で、食欲もめっきり減ったニャン吉にとって、寒さの厳しい冬は毎夜毎夜が乗り切るべき試練といってもよかった。
 もっとも、接してる間は、いつまでも元気に生きていそうな、そんな錯覚を覚えさせるような生命力溢れる猫だった。

 コンビニから戻ってきたら撫で撫でしてやるぞ、と言ってニャン吉のそばを通り過ぎる。普段なら私を見かけるとトコトコついてくるところだが、そのときは路傍にたたずんだまま私のほうをヤブニラミな顔で見つめるだけだった。

コンビニに行き、お金を下ろし、ついでに立ち読みをして、戻ってみたら・・・ニャン吉は倒れていた。

舌を出して・・・死んでいた。

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ほんの20分前まで生きてたのに・・・


誰に殺られた!?

と一瞬思ったが、多分寿命だったのだろう。

そのときになって、昨夜必死に私を呼んでいたのは自分の死期を予感して心細くなったからだったんじゃないか、と思い至った。
 自分は十分すぎるほど面倒を見てあげた、という自負はあったが、それでも後悔が波のように押し寄せる。


もうすぐ死ぬと分かっていたら、もっと甘えさせてやったのに。


昨日の夜中も心行くまで撫でてやったのに。


コンビニで立ち読みなんてせずにすぐ戻ってれば、この手の中で逝かせてやれたかもしれないのに。


一人淋しく逝かせることなんかさせなかったのに。


 猫は死期を悟ると人目のつかないところに行くのが普通だ。  
三毛たんも人目のつかないどこかでひっそりと土になったのだろう。

 ニャン吉の遺体は、前の住人さんと二人で公園に埋めた。もし私がたまたまコンビニにお金を下ろしに行かなければ、私はニャン吉が死んだことにも気づかず、彼の遺体は私の知らないところでゴミとして処分されていたかもしれないことを考えると、この手で埋葬できたのは幸いだったのだろう。


 私はニャン吉に追悼の意を表すべく、新しく出た単行本『性奴隷窟 淫龍』のあとがきに、写真とともに『ニャン吉に捧げる』と言葉を添えた。
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レイプ漫画を捧げられて彼が喜んだかどうかはしらない・・・。

ちなみになんかのレビューサイトで「猫が死んだこととか書くのやめて欲しい。読者のテンション下げてどーすんの」と書かれていた。その他にも色々厳しい意見が書かれていたが忘れた。

作者としてただ一言・・・

すいませんm(_ _)m
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 そんなニャン吉のことを今でもたまに思い出す。人間に捨てられ、それでも人間が大好きだったトラ猫、ニャン吉。没年2009年1月16日。ちょうど1年前の今日のことである。