私の名前は天馬ふぇみお、生理はこないはずなのに、月に一度は情緒不安定になるE-ロマン画家である。

 久々の更新であるにもかかわらず、たいしたうまいシモネタも思いつかず申し訳ない。私の心とチンポは深い憂鬱感で首を垂れっぱなしなのである。


《名も無き猫》

 昔は野良にゃんのために家の外にご飯を置いていたので結構うちの周りによく猫が現れ、そいつらを捕まえては避妊手術してたのだが、せっかく避妊手術しても事故で死んじゃったり、いつの間にかいなくなってしまったり、普通に猫生をまっとうしたり、でなじみの猫がみないなくなってしまった。

 最近は猫用のご飯を外に置くことはしてないので、うちの周りで野良猫をみることもあまりなくなったのだが、何ヶ月か前にうちの同居人が「野良猫を見た」と言って帰ってきた。「小柄なキジトラ柄で、一瞬私の飼い猫の小梅が逃げ出したのかと思った」そうな。

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↑上の小柄なキジトラ猫が小梅、手前のデブが小春。

 もちろん小梅は逃げ出してなどおらず、今も私の膝の上で、正確には膝とその膝の付け根に生えているチンポの上で、くつろいでいる。

 一度その猫みてみたいなーと思いながらも出会う機会も無く、すっかりそんなことも忘れていたつい先日、その猫を見つけた。

 幹線道路脇で倒れていた。車にはねられたのだろう。もちろんとっくに動かず、死後硬直で体も硬くなっている。まるで剥製のようだったが、剥製と違い内蔵を抜いてるわけではないので動物の死体は案外ずっしりくる・・・・と重いきや、もちあげたら軽かった。2キロちょっと・・・おそらく生後半年程度の若猫じゃないかと思うのだが、野良にゃんは栄養状態によっては発育が悪い場合もあるので、はっきりとは分からない。

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 とにかく見た目は綺麗で、小さいときに拾われてれば里親には困らなかったろうと思わせる美猫だった。
 幽霊だとか来世だとか前世だとかオーラだとか占いだとかそんな非科学的で馬鹿なものは一切信じない私は、人にしろ動物にしろ死んだらただ土に還るだけだと思ってる。

 だから死んだやつのために何かしてやってもそいつは喜びも悲しみもしないわけだが、ゴミとして捨てられるのはやりきれなかったので、すぐそばの街路樹の下に埋めた。せめて土に還してやりたかったのだ。それで成仏するとも思ってない。ただの自己満足である。



 今回のことでつくづく感じたのだが、動物の里親ボランティアに人たちはすごいな、と改めて思う。

 私はこの程度のことで落ち込んでしまう質なので、日本では毎年30万匹の犬猫が殺処分されているという事実を知りながら、考えると鬱になるから考えないようにして日々を過ごしている。でもボランティアの人たちは、その現実と真っ向から向き合って闘っているのだ。

 次々捨て猫を保護しては里親探しに奔走する肉体的な大変さもさることながら、元々栄養状態が悪かったり病気持ちだったりして保護した甲斐なく亡くなる子も結構いるので、動物好きなのに動物の死に何度も何度も向き合わなきゃならない精神的な辛さも相当なはずである。

 「犬猫のためのライフボート」という大きな愛護団体にいたっては、保護後3ヶ月過ぎた猫は殺処分してしまうらしい。
 残酷なように思えるが、一番可愛い幼少期を逃すと里子としてもらわれる確立が極端にさがってしまうので、次から次へ運び込まれる保護猫を一匹でも多く救うためにはそうせざるを得ないのだ。
 だが犬猫が大好きで保護活動をしてるのに、効率的に多くの犬猫を救うために、時には殺さなければならない精神的な辛さは想像して余りある。

 私は自分の生活で手一杯な上、精神的なタフさもないので、せいぜいこれらの愛護団体に小金を寄付するくらいのことしかできないのだが、本当に心から尊敬している。なのでシーシェパードのようなキチガイ団体がニュースになる度に、他のまともな動物愛護団体まで一緒くたのように批判されてるのを目にするととても心が痛むのである。


 なんか思うままを書いてきたがたいしたオチもシモネタもなく申し訳ない。とりあえず私が私であり続けるために、最後に一言、オナニー大好き、と書き記しておこう