本が売れないのはオマエのせいだ! 連載漫画家同士がツイッターで7時間バトル(J-CASTニュース)

http://www.j-cast.com/2012/02/16122472.html?p=all

先日、このようなニュースを発見した。記事を引用しよう

双葉社の青年マンガ雑誌「コミックハイ!」に連載中の漫画家・結城焔さんがツイッターで、「コミックハイ!」を置く書店が少ないのは「あざといエロ作品」の連載をしている漫画家がいるからで、この一人のせいで他の作家がとばっちりを受けている、などと呟いた。

すると同じく同誌に連載中の私屋カヲルさんが「ツィートは私のことでしょうか?」とリツィートしたため、ツイッター上で2人の激しいバトルが展開されることになった。

「事件」が起こったのは2012年2月15日。「コミックハイ!」で、日本神話の世界からロリっ子が現代に降りてくるラブコメ「幸魂~さくや伝~」を連載中の結城さんが、「コミックハイ!」は読者が少ないから心が折れそうになるなどとツイッターで呟いた。置く書店が少ないのは、あざといエロで読者を集める作品のせいだとの内情を知ってしまったとし、

「一人だけ悪目立ちして自作品売れるかもしれないけど、他の作家が軒並みとばっちり受けるから本当あんまよくないと思う。ひとりのために台無しになる」
「自分が売れりゃあいいんだろうなぁ」

となど批判した。

その約9時間後に「コミックハイ!」で人気マンガ「こどものじかん」を連載中の私屋さんが、

「コミックハイ!についてのツィートは私のことでしょうか?」

とリツィートし、激しいバトルに突入した。

「こじか」は2005年に連載がスタートし07年にはテレビアニメ化もされ、続編もOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)で発売されている。元気な小学生の美少女「九重りん」が主人公で、小学生の日常と、担任の男性教諭に果敢にアタックする姿が描かれている。性を連想させる際どいシーンも多い。
「同じ雑誌に載っている作家さんに作風を指示されても困る」

結城さんは私屋さんに対し、「コミックハイ!」はエロいから置かない方針だと書店関係者から聞いた、と書いた。さらに、私屋さんの作風にも触れ、売るためならばやり過ぎと思われるエロ表現も上等と考えているのでは、とし

「注意深くラインを守ってるって事は常にグレーゾーン渡り歩く作戦なさってるってことですか!?安全地帯行こうとかの発想はないのですかね?」

と質問した。

私屋さんは、自分の作品は出版社の担当者と打ち合わせの上で描いているものであり、東京都が10年に改正した青少年保護育成条例にも抵触してはいないと反論、

「同じ雑誌に載っている作家さんに作風を指示されても困る」

などと返した。
東京都の青少年保護条例改正が根底にある

この論争は7時間以上続いたが、やり取りを読んだ人から結城さんに対し、「売れない漫画家が嫉妬しているようで見苦しい」などといった意見が寄せられ、終結した。でも結城さんは、

「真面目に少年まんが描いてるのに、エロい作品があるから雑誌読んでもらえないのは残念って言う感情がそんなに非常識ですかね?」

と考えを曲げなかった。(以下略)


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 またツイッターなる馬鹿発見器に引っかかったアホが出てきた、とせせら笑うのは簡単だが、どうやらネット上でそれなりに賛否を2分する論争になってるっぽいので、私も底辺ながら表現者の端くれとして自分なりの意見を書きたいと思う。

 言い忘れていた、私の名前は天馬ふぇみお、売るためならあざといエロ表現もグレーゾーンも上等な、だけどいまだに売れてない悲しきE-ロマン画家である

 今回は業界関係者以外は・・・いや、むしろ業界関係者も含めて、読んでも詮無き話題なので、チンポマンコの話を期待する人はそのままウィンドウを閉じていただきたい。


<真面目な話 >
 私はこのお二人の先生の作品はどちらも読んだことないのだが、ツイッターのやり取りを見る限り、噛み付いた結城焔氏と、それを支持してる方々の論旨はナンセンスこの上ない気がする。

 結城焔氏のおっしゃっている「あざといエロ作品が載ってるせいで雑誌が書店に置かれなくなって、おかげで雑誌で描いてるほかの作家が売れなくて迷惑してる」という指摘は、編集に言うべきものであるから、作家を個人攻撃する時点で最初から論理的にスジが通ってないのだが、そもそも本当に、一つのエロ作品のせいで雑誌の部数が大幅に減ってしまうっていうのなら、編集部だって馬鹿じゃないのだからどうにかしようとするだろうし、それでもエロイ方向性を編集が支持してるというなら、雑誌の部数減を補って余りある利益をその作品が生み出してるからだろう。

 いずれにしろ、片っ方は漫画家として結果を出し、片っ方は出せなくて僻んだ・・・客観的にみればそれだけの問題である。


 エロやりたいならエロ雑誌でやれ、という意見もまったくの的外れで、一般誌のエロ、コンビニ売りの緩いエロ漫画雑誌、18禁の成年マーク付エロマンガ雑誌は、それぞれまったくの別物なのだ。成年マーク付の雑誌は一般書店には置けない過激な雑誌で明確に他と区分されてるが、、それ以外にも例えば一般誌の中でも少年誌と青年誌と中年誌で、それぞれここまでならやっていいという暗黙のルールがあり、そのそれぞれの土俵の中で作家によってはギリギリなラインを狙って漫画を描き、やりすぎなようなら編集さんが軌道修正させる。

 当然、各雑誌の読者層によってニーズは違うから、ちょっと過激な普通の漫画を18禁の成年マーク付雑誌に載せても人気が出るわけないし、逆にエロイだけの18禁向け作品を表現だけ緩めて一般誌に載せてもやはり売れないだろう。

 「こどものじかん」は読んだことないが、表現的にギリギリ大丈夫なところを見極めたうえで、、コミックハイの読者層にうけるようなちょうどいい塩梅のエロ作品を描いたからおそらく売れてるのだ。

 一般誌でエロ描きゃそりゃ売れるよ、なんて声もあるがそれも大間違いで、例えばコンビニ売りのユル系エロ雑誌やマイナーな一般誌のお色気モノの大半は、現実問題悲しいくらい売れてない。そりゃそうだ、流通網の発達したこの時代、エロが見たけりゃ読者だって成年マーク付の過激なエロ漫画を真っ先に買うだろう。わざわざ中途半端なエロ目当てで漫画を買うなんて、よほど他に魅力がなければないことなのだ。

 で、この漫画家同士のツイッター上のしがない喧嘩がここまで物議をかもしてしまった理由はというと、やはり「都条例」とか『エロマンガ規制』とか『表現の自由』とかのそっち方面の話にいってしまったからだと思うので、最後にこれについて述べたいと思う。

 「グレーゾーンギリギリアウトな過激な漫画があるせいで規制がきびしくなるからよくない」とか「むしろこんな漫画規制してしまえ」とか言う話はよくきくし、その話題になると賛成派と反対派がバチバチ火花をちらすようになってしまうのだが、私としてはハッキリ言ってどうでもいい問題だったりする。

 エロに限らず暴力表現、シモネタ、差別的表現、色々な部分でその市場ごとのグレーゾーンがあり、作家はその限られた土俵内でギリギリの表現を試行錯誤する。

 コンビニ売りのエロ雑誌は結合部をハッキリ書くことはできないし、一般青年誌だと陰毛描くのがNG、少年誌では乳首だすのすらNGだが、それでも色気漫画は載っていて、それぞれの表現規制に引っかからない範囲でエロさをだせるようにするのが作家の腕の見せ所だ。

 ときにいきすぎて、それが原因で規制されてしまったとしてもそれは別にいいと思うのだ。

 私は、規制する側の理由が単に「エロとかロリとか気持ち悪いから」だっていうのが気に入らないだけで、表現規制自体が悪いとは思わない。
 作家はそれぞれの限られた土俵のなかで勝負をするのだが、その土俵が狭くなったらまたその中でアウトにならないギリギリを探ればいいし、そこが作家の腕の見せ所で、それがあるから表現の工夫が生まれる。そしてまた誰かが土俵を踏み外したら規制が入り、作家は新しい土俵に適応しようとする。
 今まで何度も繰り返されてきたことだし、これからも繰り返されるだろう。それでいいと思うのだ。

 規制されないようになるべく土俵の真ん中の安全地帯を歩け、というのもナンセンスな話で、全ての漫画が毒のない健全漫画ばかりだったらつまらないことこの上ないし、そもそも日本の漫画文化はここまで発展しなかったろう。エロに限らず暴力表現やその他のデリケートな問題にも少しずつ切り込む形で、ただの子供の娯楽だった漫画という文化がここまで多様化したと思うのだ。


 長々と真面目に持論を述べてしまったが、そもそも漫画家ってのは漫画だけ描いてりゃいい訳でその作家の漫画論なんて読者的にはどーでも話である。私のこのブログにしてもそうだし、件の作家さんたちのツイッターバトルにしてもそうだ。

 総評すると、言っても仕方のないことならいわねー方がいいな、というこれに尽きる気がする。

というわけで、次からはまたオナニーやチンポの話など、読者がもっと興味をもってくれるような話をしよう。