私の名前は天馬ふぇみお、エロ漫画描かせりゃ下手くそだし、アマチュアキックボクシングの試合では1勝2敗の負け越しだし、アナルには頑張っても親指の第一関節までしか入らない、そんな何かにつけてアマチャンなe-ロマン画家である。


《震災を思い出す》

 前回の続きである。

 3月11日の午後には死者数十人だったのが、深夜になったら、テレビでは東北が壊滅状態で何百万人死んだかすらワカンネー、っていう報道のされ方で、本当に現実なのだろうか、と目を疑った。
 一晩寝たら実はたいしたことなくなってるんじゃねーか、とすら思った。

 床について、4時間ほどで目が覚めたが、勿論ニュースを付けても被害は小さくなってなどいなかった。むしろ被害が判明するにつれ、これがただの 地震じゃなかったんだと分かってくる。ただ、同じように剛力彩芽を見ることもなかった。何しろ、CM無しでずっとどの局もニュースしかやてなかった。

 それでも、介護施設で働くルームメートは普通の日常通りに朝から職場に向かっていった。「予定通り飲み会やるから来い」という知り合いに「頭正気か?」とメール返したら大喧嘩になったが、知り合いは結局飲んでたらしい。外に出たら公園で少年たちは普通に野球をしていた。
 そんな普通の日常が続く一方で、普通にしていていいのか(・□・;)?という思いが絶えずつきまとう。

 東北が壊滅状態なのに、自分に何か出来ることはないか、という思いだけは燃え盛るようにあるのだが、じゃあ自分に何ができて何をすべきなのか、と考えたら、何も思いつかないので結局私も家でニュースに釘付けになりながら、エロい漫画書くしか時間のつぶしようがなかった。何をするのが正しいのかわからなかったし、何かしなきゃという焦燥感だけが空回りしていった。

 何かしなきゃいけないという焦りがあるから、東北にボランティアに行こうかと思ったが、交通費だけで相当かかかる上、宿泊費入れたら二日ボランティアしにいくだけで月収一割分はかかる。
 だったらたった二日の私の肉体労働よりも、その金そのまま募金した方が役に立つんじゃねーかと思い至り募金した。募金の手続きには10分もかからない。


 残った時間どう過ごすか・・やっぱり思いつかないので仕事した。仕事のモチベーションは沸かなかったが、自分ごときに出来ることは何かと考えたらやっぱりエロい漫画を描くことだけだったのである。

 あの時色んな人が売名行為と叩かれていたが、売れるような名前がある人はどんどん売名したらいいんじゃねーか、と思った。
 売名と騒がれるということはそれだけ影響力があるってことなんだから、偽善と言われようが誰かの役に立つなら何かした方がいいに決まってる。売る名前もない小物は、ホントにただつまらない日常をいつも通り過ごすか、ネットで誰かを偽善者呼ばわりして叩くくらいの事しか出来ないのだ。


 千年に一度の規模の大地震にふさわしい衝撃的な映像をテレビでは流し続けていたから、今震災を思い返すと阿鼻叫喚の地獄絵図だったように思ってしまうが、よくよく思い出すとあの時、私の周りでは普通すぎるくらいに普通に日常が進行していたなぁということを、「あまちゃん」の震災描写を観て、久々に思い返した次第なのである。

 さすがにマスはかく気にならなかったから、唯一日常と違っていたのはオナニーしてなかったというその点くらいなのである。

 で、その「あまちゃん」なのだが、思ったより世の中にはアンチな方々がいっぱいいるようである。

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 アンチが沸くのも人気がある証拠なのだろうが、凄いと思うのは、ちゃんと内容に触れながら批判してるのである。見た上でボロカスにクソだ駄作だと貶しまくってるということだ。

 普通つまんないと思えば1、2話で観るのを止めると思うのだが、放映から5ヶ月も経ってるのに駄作だと確認するために見続けるってすげー根性だなぁ、とある意味感心してしまう。

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↑「聖おにいさん」という漫画のこのくだりを思い出してしまった。

 だからどうした、と言われても返す言葉がないのだが、何つーか「あまちゃん」書いた宮藤官九郎はやっぱすげーな、って事を言いたかったのである。


 私の名前は天馬ふぇみお、エロ漫画家なのに女の子可愛くかけないし、前戯は上手いと言われたことあるけど実践に移す機会がないし、アナルには死ぬ気で頑張っても小指の第二関節の途中までしか挿入らない、あまちゃんなe-ロマン画家である。