私の名前は天馬ふぇみお、短いチンコというハンディを背負いながらも生き馬の目を抜くエロマンガ業界で今日も戦い続ける、チンポファイティングe-ロマン画家である。

 私の人生は闘いの連続であった。一番激しい闘いだったのは物心付く前のまだ小さかった頃で、当時の私は本当に小さくて体長0.1ミリにも満たないちっぽけな存在だったが、1億匹以上のライバルに競り勝ってなんとか母親の卵子に一番にたどり着くことが出来た。
精子と卵子
 あの闘いで負けていたら今の私はココにいなかったはずなので、それに比べれば受験戦争も漫画業界の競争も屁みたいなものである。


《2年ぶりのリング》

 アマチュアキックの試合なんて三十数年前のあの母親の子宮の中で繰り広げた受精卵デスレースに比べれば、精子が・・じゃなくて生死がかかってない分気楽なものである。そんなわけで、スポーツの秋ということでジャンジラジムという知合いが営むキックボクシングジムで毎年ジム創立を記念して行われている大会に参加してきた。

 リングに上がるのは2年ぶりである。過去の試合では54キロくらいの体重で望んでいたのだが、ココ一年くらいの不摂生のせいでだいぶ体重が増えていたので、今回は60キロで試合に出ることになった。しかも60キロの体重の選手が少ないから2回試合に出てくれと頼まれ、2回闘うことになった。
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 一回目の試合の相手は初めてのサウスポーだった。
 サウスポーとは左利き左構えの選手のことで、私はこのサウスポーが苦手であった。普段のスパーリングでもまともに戦えた試しがなかった。

 考えた策が、自分自身も即席サウスポーになってしまうことであった。普段右利きであるが、セルフファック(自慰行為)の時に左手をあえて使うことで利き腕を左に矯正させようというのだ。試合前の一週間左腕でオナニーした成果が試合にどう生きるか不安で、控室ではずっとドキドキしていた。

 私の試合の前に女子選手の試合があり、一緒に控室にいた女子選手MさんとDさんが私に「ふぇみおさん2回も闘うんですよね。絶倫ですね-」と話しかけてきてくれた。二人とも私がエロ漫画家であることは知ってるので多少のシモネタトークは日常茶飯事である。

 「そーなんすよ、もう精力有り余っちゃってギンギンに固くなっちゃって(*ノω・*)」と言っておもむろに私は女子選手二人の手を握ると自分の股間の方に引っ張った。女子二人は私の鉄のように固く盛り上がる股間にビックリして顔を赤らめた。プロのエロ漫画家の面目躍如といったところである。

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 しかし実は私は虚勢をはっていた。鉄製のファールカップをしていたから固く盛り上がってただけで、本当は私の股間は緊張でシワシワに縮み上がっていたのだった。

 そうしてフニャチンのまま試合は始まった。

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 即席のサウスポースタイルで最初はうまく攻撃が当たっていたのだが、段々ワンパターンな攻撃を読まれてきてしまった。所詮付け焼き刃なので応用が効かないのである。一試合目は結果、ドローであった。
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  しばらく間を開けた後二試合目をやった。相手は今度は普通のオーソドックス(右構え)の選手だったので、私も普段通りの右構えで闘った。結果は僅差ながら判定勝ちであった。

 一試合目を左構え、二試合目を右構えで闘ったため左右均等に体にダメージがあった。なので家に帰ってから、両手を使う変則スタイルでセルフファックしてみたが全くイケなかった。やむえず、久々に慣れ親しんだ右手でやってみたところいとも簡単にイケてしまった。

 ファックもキックもオーソドックスが一番・・・・今回の闘いを経て私は生きていくうえでの大事な教訓を学んだ気がしたのだった。

 そんな私のスポーツの秋は終わろうとしている。