私の名前は天馬ふぇみお、こう見えて義理堅く、そしてチンポも堅いe-ロマン画家である。どれくらい義理堅いかというと、前年に年賀状をくれた人には翌年に年賀状を必ず返すということを20年以上つづけてるくらい義理堅く、どれくらいチンポが堅いかというと、カップ麺のフタを突き破れるくらいには堅いのである。

 さて年賀状のシーズンであるが、昔から真面目に凝った年賀状を描いてきたので、申年の来年は12年前に描いたやつを流用できる。
 12年前の申年に描いたのはコレ↓である。

2004年賀

 12年前はこれを70人くらいに送っていたのだが、今年出すのは20人位である・・・干支が一周りする間に友達が50人減った計算である。やはり人間関係は大切にせねばならない、そして正月の挨拶にふさわしい絵柄というものは考慮せねばならない。

  この記事をアップしてる時点ではまだ大晦日であるが、一足早く言っておこう・・・あけましておめでとうございますm(_ _)m


《西荻窪 富士山》

 さて、人に会う話の続きである。

 ミル飲みの二日後のクリスマス・イブの日、エンジェルクラブという老舗エロ雑誌の編集をやってるK君という男が西荻窪の飲み屋に行くというので、同行することにした。

 K君は元々漫画家志望の若者で、たまたま趣味が格闘技だったことから私と知り合うことになり、一時期うちに漫画の練習に来ていた。アシ経験がなく基本的な線の引き方も知らなかったので、私がアシ時代に学んだ基礎をK君にも教えてあげた・・・いわば私はKくんの師匠なのである。
 そんなK君だったが、バイト先のイタ飯屋にエンジェルクラブの編集さんがよく飯を食いにきてたのが縁でいつの間にかエンジェルクラブの編集になっていて、バイトから始まり今は立派な正社員になっているのだ。

 いまでは私に仕事を与えるかどうか生殺与奪の権利を持つ立場ではあるが、立場が変わっても師匠と弟子の関係性は不変であり、どれだけ偉くなろうと所詮私にとってはただの弟子でしかない。K君は編集業務の一環としてアキバブログでコラムを描いているのだが、そのコラムで西荻窪の美味しい呑屋をとりあげたい、ということだったので、「Kさん、クリスマス・イブに一人でオナニーしてるのも寂しいので、私のようなドブエロ漫画家ではございますがご一緒させて頂いてよろしいでしょうか」と靴を舐めながらお願いしたところ承諾をいただけたので、私も同行することになった。
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⇑煮込みやに来るのは初めての私も何故か常連客として写っている

 西荻窪は小さな呑屋が密集する場所で、今回行ったのは『煮込みや 富士山 西荻本店』という洋風煮込みを振る舞う、出来てまだ1年ちょいの新しい店であった。ちなみ「西荻本店」などと偉そうに謳っているが別に支店も姉妹店もないちっぽけな個人経営の店である。

 ちなみに私は店主とは知合で、彼は昔はここで串カツ屋をやっていて繁盛してたのだが、色気を出して都心の一等地、神田でオシャレなタコス屋を始めたら大コケしてしまい、1年ほど前に西荻窪に戻ってまた呑屋を始めるという波乱万丈な人生を送っている。何故昔と同じ串カツ屋にしなかったかというと、串カツ屋を畳み神田でタコス屋やってる間に、西荻窪駅前に別の串カツ屋がオープンしてしまったからである。飲食店の栄枯盛衰の移り変わりは驚くほど早いらしい。

 「煮込みや富士山」は立ち飲みの店で厨房奥ではかわいい看板娘が働いていて、卑猥な想像をして私の股間の富士山も隆起し勃ち呑みになりそうになるのだが、その度に店主が卑猥な頭を眼前に出してくると不思議と著しく性欲が減退するのであった。
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ちなみに料理は絶品で滅茶苦茶美味しかった。
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《中学からの腐れ縁》

 中学の頃からの友達と毎年忘年会をやっていて、卒業して20年以上経った今でも続いてる。

 「煮込みや富士山」でイブ呑みした翌々日に昔の勃ちと・・・いやダチと呑んできた次第である。私が通っていた中学は普通の公立校ではあるが友人達はことごとくエリート街道を進んでいて、医者、国家公務員、一部上場企業の社員に混じってエロ漫画家が呑むという機会はあまりないだろう。

 エリートの集まりなので話す内容も真面目な社会問題が多く、ネットで子供が過激なエロサイトにいくらでもアクセスできてしまう現状について、『「プレイボーイ」なんてヌルい本読んでらんねーぜ、やっぱ「デラべっぴん」っしょ』とイキっていた自分たちの頃との違いに郷愁を覚えつつ、アメリカ帰りのMが学校の屋上に無修正洋ピンエロ本を隠していてそれをみんなで貪るように見てた思い出話に花を咲かせるのであった。

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きっと彼らとは10年後にもデラベッピンの話をしていることだろう