私の名前は天馬ふぇみお、小学校1年の時から絵を描くのが好きで「将来の夢:マンガ家」と作文に書き、小5の時には創作クラブに入ってマンガを描き、臨◯小学校の美術の滝◯先生からも「この子は本当にマンガ家になるかもなぁ」といわせしめ・・・そして今、日々女性のマン◯を描いている theマ◯コスキー e-ロマン画家である。

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こんなタイトルの漫画を描いたこともあった・・・もう14年も前のことである( ´ー`)y-~~

 滝◯先生・・・あれから30年経ったけど、創作クラブで漫画描いてたあの子は今ちゃんとマン◯家やってます( ;∀;)


《続けるコトの難しさ》

 そんなマン◯マンガが好きな私は、かなりの手塚治虫信者である。引っ越しのたびに処分したりしていたので今は大分蔵書は減ったが、中学生の頃は150冊くらいは手塚先生のマンガを集めていた(手塚治虫全集は全400巻なので120冊程度は大した蔵書量でもないのだが)。
 手塚御大のことを「マンガの基礎を作ったパイオニアだから神様扱いされてる人」と勘違いしている人も多いだろうし、実際今の時代に読むと絵や演出が古臭いのは否めないが、ストーリーを考える才能という点ではいまだに手塚治虫を超える人材は現れていないと私は思っていて、サバン症候群的な異常天才だったのが手塚先生である。

 そんな手塚先生に憧れた少年が何故か今はマン◯ばかり描いているが、それには理由がある。手塚先生が何かのスピーチの席でこう仰っていたのだ。

「大人が眉をひそめるマンガほど良い漫画なんです!」

 私はその言葉を胸に・・・今も大人が、特にPTAのババァが眉をひそめるマンガを描いている( ;∀;)


 ぶっちゃけ私は一般漫画誌を目指していて、エロ漫画家は(可愛い女の子を描ければ一般誌を狙うにしてもプラスになるだろう)程度の軽い気持ちで始めた。いわば腰掛けのつもりだった。

 しかし描いてみると、思いのほかエロ漫画は難しく、自分で描いてる最中は自信満々でも、後日雑誌に載ってる自分の作品を読むとあまりの下手くそさに背筋がゾワゾワした。
 当然人気は低かったが、私はへこたれなかった。

 人気がないのは自分が下手くそだからで、もっと上手くなれば人気も出るはずだ・・・と信じ、ひたすら貪欲にスキルアップを求めた。
 上手い人を見つければその絵柄を真似てその技術を吸収しようと躍起になった。それが前回の記事で書いたような短期間で絵柄が劇画にいったりアニメ絵に寄せていったりコロコロ代わり全く安定しない、という事態につながるのだが、その甲斐があったのかなかったのかは別にして、私の画力は昔の下手くそだった頃に比べれば格段に上がったと思う。

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デビュー2年目(処女単行本『罪と罰』より)

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デビュー7年目(杉本彩原作『インモラル』より)


 しかし、取るに足らない僅かな誤算があった・・・下手くそだった頃に(このレベルまで上手くなれば売れるはずだ)と思ってた地点までは到達できた自負はあったのだが・・・全く売れなかったのである(´;ω;`)

 
売れないどころか、詳しくは過去記事を参照いただきたいが、色々あって漫画家続けるのも厳しい状況にまで追い詰められた((((;゚Д゚))))


 追い詰められた私は、奥の手を繰り出すことにした。

 ペンネームも変え、絵柄もまるっと変えることにした。その当時売れまくってたエロ漫画家さんの中には、桂正和先生に絵柄を寄せてる人が何人かいたので、だったら・・・誰よりも桂先生に絵柄を寄せてやろう!「これ元アシとかが描いてんじゃね?」と思われるくらいに似せてやろう(゚Д゚)!・・・そう決心したのだ。桂先生に絵柄を寄せたエロ漫画家で売れなかった者はいないのだから、これはもう最後の奥の手であった。
表

 キャラ絵だけでなく、緻密な背景などの部分も桂先生に寄せようと努力した。とにかく桂先生は全体的にレベルが超絶に高いので、力の遥かに劣る私ごときが寄せようと思ったら小手先の小賢しい技術を駆使して超絶に気合を入れないといけない。漫画家として完全に邪道であるが、悪魔に魂を売ってでも私は漫画家を続けたかった。
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 その結果、それなりに寄せられたんじゃないかと・・・当初の目標は達成できたんじゃないかと自負している(*´ω`*)

 しかし、
取るに足らない僅かな誤算があった・・・・・・

 全く売れなかったのである
。゚(゚´Д`゚)゚。

 いよいよ漫画家廃業かと思われたが、「北条司先生の絵が好きなんです」という編集さんから『北条先生みたいな綺麗目な劇画系の絵柄温泉を舞台にした人妻モノの漫画を』と依頼され、描いてみたところそこそこ好評でなんとか首の皮一枚繋がった。

 そしてここ数年は劇画系の絵柄と桂先生寄りの絵柄を毎月切り替えて交互に漫画を描くというアクロバティックな仕事のこなし方をしていた。

  色々ありつつも未だに単行本を出してもらえているのだからありがたい限りである。
 
 そんな訳で、おそらく桂◯和系の絵柄としては最後の単行本になるであろう、
『快楽教室~人妻教師が肉奴隷に堕ちるまで~』
kairaku
FANZAなどで発売中である

 振り返るとこのブログも10年続いてる。作家生活は20年近く続いていて、ついでにいうとオナニーの日課は30年続いてる。

 よくも続けてこれたなぁ、と我ながら思う。私よりも人気があったのに作家を辞めていった人は何人もいる。編集さんとの軋轢とか漫画へのモチベーションの低下とか、きっと色々理由があったのだろう。
 私も自分の無能さに凹んだり、編集の命令どおりに描かされて(コレ本当にウケるのか?)とだだ下がりのモチベーションになったりすることもあったが、なんだかんだで絵を描くことが嫌いになったことはなかった。

 何かをやる才能と、それを続ける才能は似て非なるものなのかもしれない。

 何かを続けるのに最も大事なコトは、それを『好き』でい続けられるか・・・なんじゃないのかなぁ、とこの歳になって私は思う次第である。

そんな訳で、私は絵を描くのが好きである。この絵を描く右手を与えてくれた神に感謝したい
そしておそらく、オナニーはもっと好きである。このマスを掻く右手を与えてくれた女神に顔射したい(*´艸`*)

(完)